「東京で一羽の蝶が羽ばたくと、ニューヨークでハリケーンが起こる。」ってお聞きになったことがありますでしょうか? 「ある事象の発生により、一見すると全く関係の無いような思わぬ所・物事に対して、大きな影響が出ることの例え」で、こういう現象を「バタフライ・エフェクト」と呼ぶのです。 昔、イギリスでディープ・パープルというバンドがデビューしました。 そのバンドのジョンロードというキーボーディストは、世界で初めて、ハモンドC3を使ってハードロックを演奏しました。 そして、厚見玲衣さんというキーボーディストが、そのジョンロードのプレイに影響を受け、やはりハモンドC3を使って、日本でハードロックを演奏をすることになったのです。 こなた、別の時空の話。バンドを組むならギタリストがいいなあ、と思っていたのに、ジャンケンで負けて仕方なしにキーボードを弾くことになった一人の高校一年生がいました。初めて組んだバンドのギタリストが、「川村、最初にこの曲をやろう」と言って、差し出したカセット・テープには、ディープ・パープルの「Highway star」のライブ・イン・ジャパン・バージョンが入っていたのです。そのカッコよさに一気に夢中になって、何日も徹夜で、夢中で同じフレーズを弾きつづけ、そんな中でどんどんキーボードを弾く楽しさを知ることができたと同時に、自分で作ったシンセのオルガン・サウンドと、ジョン・ロードの本物のハモンドC3のサウンドの違いに悶々と頭を抱える日々が始まったのでした。 そんな悶々とした気持ちを抱えつつバンドを続けていたある日、たまたま点けたN〇K教育テレビ(!)から、あの憧れのハモンドのグリスの音が聴こえてきたのです。「うわ、なんだなんだっ!オルガンだ!ジョン・ロードみたいじゃないか!一体全体、誰が?」 画面の中では、VOW WOWというバンドが演奏していて、そこには果たしてハモンドC3があり、その大きな躯体を「どうだい」といわんばかりにデーンと見せつけていたのです。時代はシンセ・ブーム真っ只中。ヤマハが1983年に発売した名機DX7で世界を席巻し始めた、いわばデジタル・シンセの黎明期であり、また黄金時代でもありました。それから、時代は「小さく、軽く」が良しとされる、いわばウォークマンの時代。大きなコンポはもう古い。重たい楽器も、時代遅れ。一部、マニアなキーボーディストを除いて、どんどん「機材は少なく、なんなら1台で全部やるのがカッコいい」なんてことになっていた時代。あのイエスのトニー・ケイが、マスターキーボード2台でステージをやっていたのが、最先端で、クールだった時代。 なんだか、暗黙の了解として「ハモンドオルガンなんて、でかいし重たいし、もう終わりだね。軽い代用品でもう十分だよ」な空気が鍵盤界にも流れ始めていたこの時期に、画面の中の VOW WOW の“厚見玲衣”というキーボーディストが、ジョン・ロードさながら、いや、トータルでジョンよりも多い機材を並べ(勿論、その中にはミニモーグやメロトロンもありました)、中でも一際大きくて重たいC3を持ち上げ、グワングワン揺らし、全身から大粒の愛情を惜しみなく注ぎながら、その二段の鍵盤に向かって、恐ろしい気迫で真剣勝負を挑んでいるシーンを・・・見てしまったのです。持っていたコーヒーを飲むのも忘れ、しばらく、呆然としてしまいました。 「ああ、こんなカッコいいキーボーディストが、日本にいるんだ!僕は、この人みたいになりたい。この人みたいにキーボードが弾きたい!そして、C3が弾きたい!」 その後、厚見さんを真似て、アルバイトをしながら同じ機材を一つずつ揃えてゆきました。今でも僕のステージには欠かせないミニモーグやレスリースピーカーも、厚見さんを真似て、もう20年以上前の、大学時代に手に入れたものです。 そうこうしているうちに、そう、例えば、「ぷよぷよ」やってて「うわー、もうだめかなー」って思ったら、突然思いもしなかった20連鎖が起きちゃってクリア、しかもハイスコア記録も更新しちゃった、どうしよう!な感じの、本当に偶然の産物としか言いようが無いきっかけが重なりまして、幸運なことに、長年ポスターの中の人だった厚見さんに、実際にお会いすることができまして、そしてその後、僕がデビューするきっかけを、なんと厚見さんから頂くことになって、そしてそして、それから約20年。僕はこうして、どうにか元気でキーボーディストとしてお仕事をさせて頂いているうちに、またまた今度は厚見さんのご縁で、エージさん、Voyagerさん、ドンイチさん(このサイトのエンジニア)さんとも出会えてしまったのです。 今、このページで皆さんに目にして頂いたハモンドC3「海月」は、“僕の26年前の夜”の延長線上に、ようやく生まれた一台です。当たり前のことを言っているようですが、どこかで、何かがひとつ違っていたら、海月はきっとこうしてここには存在しないでしょうし、僕自身、こうして皆さんにこのメッセージを書いていることは無かったかもしれないのです。
その凄まじくゴキゲンなハモンドC3のサウンドで、それまでのロック・オルガンの歴史と概念を変えてしまう存在となるジョン・ロード(6月9日・・・ロックの日生まれ)が、やはり後に世界一有名なハードロック・バンドとなるディープ・パープルを結成し、そしてデビューさせたのは、1968年のことでした。 ・・・1968年。 僕がこの世に生まれ落とされた年です。 ・・・あ、いや、そこに何か凄い意味があるのかどうか、は、まだ、わかりませんけどね(^^。 バタフライ・エフェクトは、起こったのか、今、起こってるのか、これからまだもっと凄いエフェクトが起こるのか、
でもでも、とにかく人生って、面白い!
Dessert of Jellyfishこれまでにブログに書いた“海月” に関連した記事です。 2010年06月15日 「きたよーっ。 」 2010年07月09日 「めらめらの予感。→追記。」 2010年07月11日 「会えたよー。→追記。」 2010年07月12日 「僕のNo.77617。」 2010年08月01日 「何がナンでも。」 2010年10月01日 「できたよー。」 2010年10月05日 「ぶ、どっかーん!→追記。」 2010年10月06日 「!→追記(初お披露目!)。」 2010年10月07日 「ポジション。」 2010年10月09日 「Jelly fish.」 2010年12月05日 「美的ケーブル。 」 -------------------------------------------- で、参考までに、以下、ハモンドに関して書いた記事をピックアップしてみました。 -------------------------------------------- 2010年03月31日 「おわー。→追記。」 2010年04月15日 「クター。」 2010年05月09日 「増幅装置。 」 2010年05月18日 「奇蹟のスリーデイズ。」
ノードで微笑む人々。 2010年03月02日 「赤いのの会。」 アックスの奇蹟に関する記事。 2010年01月09日 「奇蹟のV Vol.1.」 2010年01月12日 「奇蹟のV Vol.2.」 二段鍵盤のオルガンが欲しい・・・がわかる記事。 2009年08月07日 「もみー。」 ドローバーマニアック。 2009年04月11日 「マニアックであること。」 厚見さんとC3。ムーンダンサー。 2009年02月13日 「人に歴史あり。 」 ☆厚見さんにジョンロードのチョップドC3の話を訊き、欲しくなった日の記事。☆ 2008年09月06日 「オルガンやらグーグルやら。」 XK-3c大活躍の頃。(今も使ってますが。)ハモンドさんにライブ記事。 2008年03月30日 「スズキさんに褒められました。」 川村ケン、ハモンドの魅力を語る。(まだ本物、もってないのに(笑)) 2008年02月21日 「こちらもご新規さん。」 平和島倉庫にて。ハモンドおじさん到来! 2008年02月02日 「機材機材機材。→追記。」 ヴィンテージキーボードを語る(含む、ハモンド) 2007年09月03日 「鍵盤を語ると。」 僕のブログに初めてハモンドが登場した記事。 2006年06月29日 「エレクトーンじゃないのよ。→追記」 |
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